高浜市でランチが自慢のカフェ:salutサリュー

Read Article

3・11 東日本大震災から12年

みなさんこんにちは。シェフ「H」です。

 

すでに過ぎてしまいましたが、3月11日に「東日本大震災」が発生してから今年で12年が過ぎました。

 

当時はまだ東京にいて、ホテルの調理場で仕事中に揺れを体験しました。

 

ランチ時間は終わって、コーヒーショップはティータイムでした。

 

14時46分

 

「あ!地震だ・・・」

 

すぐおさまるだろうと思っているうちに、揺れはどんどん大きくなっていきました。

 

「とりあえず火を切って」

 

と言ってからすぐに、予想以上の大きい揺れに

 

「外に出るよ!」

 

とみんなに声をかけた時には、ガス台の上の出汁を取っていた大きな寸胴が、左右に動いていました。

 

調理場から外へ出るのには階段を下りなければいけませんでしたが、何もつかまらずには降りることができないくらい揺れていました。

 

外へ出ると

 

「建物の中に、こんなに人がいたの!」

 

というくらい、周りの建物から出てきた人で道はいっぱいでした。

 

電線がまだ大きく揺れて、近くの高いビルが揺れているのが目で見てもわかりました。

 

まだ外は寒く、店内にいたお客様もしばらく外で待機してもらっていました。

 

余震もありましたが、安全確認をしてから、ドアは明けっ放しにして、それでも屋内の方が寒く無いので、お客様には店内に入ってもらいました。

 

関東で大きな地震が起こったのかと思いました。

 

しばらくすると、東北が震源の大きな地震が起きたことがわかりました。

 

「東京でこの大きさって、震源地はどうなってるんだ・・・」

 

そう思いました。

 

テレビは見られませんでしたが、店内に有線放送で地震情報を流していました。

 

その日の夜は営業をしましたが、お店は満席でした。

 

帰ることのできない人が押し寄せました。

 

ホテルの周りの道は、夜遅くになっても人がたくさん歩いており、道路は車で大渋滞でした。

 

異様な光景でした。

 

あの衝撃的な津波の映像を見たのは夜になってからでした。

 

阪神淡路大震災の映像も衝撃的でしたが、津波の映像は、迫り来る水の塊に恐怖を覚えました。

 

ホテルには東北地方出身の従業員はたくさんいました。

 

また、僕自身の知り合いも東北にはたくさんいます。

 

調理場にいた福島出身の後輩は、実家が果物農家をしており、直接の被害はなかったものの、風評被害でしばらく果物が売れなかったそうです。

 

12年経った今でも、僕が遠く離れた場所で体験した揺れは、強く記憶に残っているくらいです。

 

直接被災された方々は、もっと強く体にも、心にも、記憶に残っていることと思います。

 

僕でさえ、当時の映像を見るのを避けているくらいです。

 

「一人静かになると、つい当時のことを考えてしまう」

 

被災した方が言っていた言葉です。

 

ずっと言われている「南海トラフ大地震」です。

 

少しでもいいから、震災のことを考える時間を持とうと思います。

 

 

Return Top