高浜市でランチが自慢のカフェ:salutサリュー

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午後2時46分に鐘の音

みなさんこんにちは。シェフ「H」です。

 

2021年3月11日で東日本大震災発生から10年が過ぎました。

 

どこもかしこもこの話題かもしれませんが、避けては通れない出来事です。

 

店内のラジオ放送から、午後2時46分に鐘の音が聞こえてきました。

 

「あ・・・」

 

当時のことが思い出されます。

 

年に一度ですが、こういった時に忘れないように思い出さなければならない出来事です。

 

当時はまだ東京のホテルで働いていました。

 

ランチも終わり、順番に食事と休憩を取りながら、仕込みの最中でもありました。

 

午後2時46分、揺れは大きくゆっくり始まりました。

 

「地震だ!」

 

すぐに終わると思っていました。

 

ところがその大きな揺れが収まるどころかだんだん大きくなってきました。

 

「ガスの元栓切って!外に出るぞ!」

 

みんなに声をかけて階段を下りていきました。

 

調理場のガス台の上には大きな寸胴が、出汁を取っている最中でした。

 

見ると、お湯がいっぱいに入っていた寸胴がガス台の上を右に左にと、お湯をこぼしながら動いていました。

 

階段を下りるのも壁を伝っていかないと降りれないくらい揺れていました。

 

「ヤバいぞ!」

 

そう思いながら降りていました。

 

裏口から外へ出ると、こんなに人がいたのかと思うくらいの人で、道や公園は人でいっぱいでした。

 

電線は勢いよく揺れ、そこから見える高いビルは目でもハッキリ確認できるほど左右に大きく揺れているのがわかりました。

 

落ち着いてきたのですぐ館内に戻り、状況確認。

 

お客様の対応をしたりしました。

 

当時はコーヒーショップも担当していたので、その時間でもお客様は店内にいました。

 

まだ外は寒く、早くお客様を店内にと思いながらも、安全の確保と確認をしなければならず、すぐには店内に誘導することもできませんでした。

 

その後は出入り口を開けたままの営業で、とても寒かった記憶があります。

 

夜は「準備が出来次第、通常営業するように」という会社からの連絡を受け営業しました。

 

「こんな時に営業するの・・・」

 

と皆で言いながらでしたが、帰宅困難な状態にあった人達が押し掛け、どの店も満席となり、すごく忙しくなったというなんとも皮肉な思い出があります。

 

そして翌日からはしばらくの間、全くお客様が来なくなったということも思い出します。

 

ずっと職場にいて地震の全貌がわからず、情報を聞くだけでしたが、帰ってからテレビを付けるとその映像に呆然となりました。

 

「東京でこれだけ揺れてこんな状態になってるんだから、現地はひどいことになってるだろう・・・」

 

ラジオから流れる鐘の音に、当時のことを色々思い出しました。

 

まだまだ避難生活をされている方は4万人以上いると聞きました。

 

正直、

 

「まだそんなにいるの!」

 

と思いました。

 

10年経ったとはいえ、原発も含め、

 

「まだまだ終わっていないんだ」

 

そう思った日でもありました。

 

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