高浜市でランチが自慢のカフェ:salutサリュー

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1日3食が基本?

みなさんこんにちは。シェフ「H」です。

 

みなさん朝ご飯は食べますか?

 

普通は食べますよね。

 

僕もホテル勤めしている時までは食べてました。

 

若い時は朝ご飯を食べないと体力が持ちませんでした。

 

何でもいいので食べておかないと、昼ご飯までにエネルギー切れでした・・・(笑)

 

今はちゃんと食べていません・・・(ダメですねえ)

 

ランチの準備をしながら、つまみ食い程度です。

 

お昼はランチが終わってからですが、忙しいと食べられない時もあります。

 

営業が終わってから昼ご飯。

 

すでに夕方ですね・・・

 

そんな時は、

 

「朝ご飯食べれば良かった〜」

 

と思いますね。

 

そんな話はいいとして、「1日3食」が当たり前の現代ですが、この習慣が定着したのは江戸時代の中期頃と言われています。

 

元禄時代(1688〜1704)の頃ですね。

 

灯りが広まったことにより、1日の活動時間が延びたことが理由のひとつだそうです。

 

ちなみに「暴れん坊将軍」でおなじみの8代将軍・徳川吉宗は質素倹約を掲げていたので、1日2食を貫いたそうです。

 

それでは江戸時代、江戸の町の人々がどんなものを食べていたのか?

 

「江戸には色々な食材が集まってきて、色んな物を食べていたんじゃないかなあ?」

「現代のように贅沢はしてないだろうから、質素じゃないのかなあ?」

「時代劇で出てくるような長屋では、慎ましい生活をしているようだから、白米は食べていなかったのかなあ?」

 

みなさんも想像してみてください。

 

答えは、超シンプルな「一汁一菜」が多かったようです。

 

ご飯、味噌汁、漬け物。

 

これが庶民の食事の基本だったそうです。

 

「へえ〜、当時は力仕事も多かったと思うけど、体力は持ったのかなあ?」

 

確かに体力は持たないと思います・・・

 

しかし、現代の人達と大きく違う点があります。

 

それはご飯をたくさん食べていたそうです。

 

一日5合くらいです。

 

お米5合ってどれくらいかというと、約750gです。

 

よくわかりませんね。

 

炊くと約1750g!!

 

茶碗に普通に盛って10杯、軽くもって15杯くらいです。

 

なので一食でだいたい茶碗3〜4杯ですね。

 

確かに食べる物がご飯しか無いから、仕方ないですね。

 

それから、お米を炊くのは「朝の1回だけ」だったそうです。

 

江戸時代後期の資料によれば、

 

・朝食 ほかほかご飯、味噌汁

・昼食 冷や飯、野菜もしくは魚などのおかず

・夕食 お茶漬け、漬け物

 

だったそうです。

 

昼食がメインで、夜はすぐに寝ていたみたいですね。

 

江戸ではどうやら「白米」をよく食べていたようです。

 

その訳は・・・?

 

続きは次回にしますね。

 

 

 

 

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