高浜市でランチが自慢のカフェ:salutサリュー

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鯛の天ぷらが原因?

みなさんこんにちは。シェフ「H」です。

 

大河ドラマ「どうする家康」が何かと話題ですね。

 

僕も見ましたよ。

 

「健康オタク」と言われている家康の死因「鯛の天ぷら」だと言われています。

 

これも断定はできないようですが、よく知られている説ですね。

 

また「新しい物好き」ということで、色々な美味しいものを食べていたようです。

 

しかし普段は質素な食事をし、月に数回だけ美味しいものを堪能していたということも言われています。

 

特に「麦飯」と「八丁味噌」を好んで食べていたようです。

 

このおかげで、当時の平均寿命を大きく上回る75歳まで生きることができたと考えられています。

 

徳川家康が初めて天ぷらを食べたのは1616年1月のことです。

 

「上方で流行している珍しい料理」

 

として、徳川家康へと献上されたのが天ぷらだったんです。

 

そのあまりの美味しさに驚き、出された天ぷらを大量に食べたということが伝えられています。

 

当時の天ぷらは、今のようなものではなく、「からあげ」に近い料理だったそうです。

 

そのときの天ぷらが「鯛の天ぷら」なんです。

 

その3ヶ月後に亡くなったことから、死因は「鯛の天ぷら」といわれているんです。

 

これには諸説あるようですね。

 

その中の一説にあるのが「天ぷらの食べ過ぎ」なんです。

 

あまりにもたくさんの天ぷらを一度に食べ過ぎたことで、その日の夜中に腹痛を起こしました。

 

当時のことが書かれた史料にも「投薬」の文字があることから、薬の服用が必要なほどの激痛だったと想像できますね。

 

そのあとも体調が優れない日々が続き、薬を変えたり、医者を交代させたりしましたが、次第に体力は衰え、約3ヶ月後にはこの世を去ってしまったんです。

 

しかしながら、天ぷらの食べ過ぎが死因だとすると、食してから期間が3か月も空いており、腹痛も断続的には続いておらず、回復することもあったため「天ぷらによる食中毒」が直接的な原因にはなっていないと言えるようです。

 

この他にも説はあり、健康にはかなり気を使っていた家康は、自分の見立てが担当医と異なっていたときには、その医者の出す薬よりも自分で調合した薬を飲むほど、自分の医学知識を過剰に信じていたそうです。

 

薬を自分自身で調合することもあり、「ヒ素」「水銀」も混ぜて使うこともありました。

 

これが死期を早めたとする見方もあるようです。

 

家康はそういった薬を毎日服用するくらい体調は良くなかったようです。

 

死因はそれら毒物の服用による可能性もあるとも言われています。

 

また、「胃がんの症状」とされている「食欲不振」「胸のつかえ」「腹部のしこり」「体重の減少」「吐血」の症状があったことから、「胃がん」説も有力なんです。

 

あとは「毒殺説」ですね。

 

はっきりとした史料はないので、あくまでも俗説ですが、戦国時代においては決して珍しくない死因の一つですからね。

 

色々な美味しいものを食べていたり、徳川家康というと「タヌキおやじ」と言われるように、あのかっぷくの良い姿を想像する人がほとんどではないでしょうか。

 

そのために、「天ぷら」という当時まだ珍しい食べ物を食べたことが原因という方が、イメージに合うことからなのかな?とも思いますが・・・

 

とにかく戦国武将には、色々な逸話がありますよね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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