みなさんこんにちは。シェフ「H」です。
以前タレントの明石家さんまさんが、
「ご飯にきな粉をかけて食べる。関西では当たり前。」
とテレビ番組で言ったことが話題になりました。
確かに関西地区では、そういった食べ方を普通にするようですが、中には「食べたことない」という声も上がったようです。
こういったことはどの地方でも言えますが、やはり昔からその地方に住んでいたり、おじいちゃん、おばあちゃんがいるところは昔からの習慣が続けられていたりしますね。
僕も、きな粉をご飯にかけて食べることはしたことがありませんでしたが、やってみたら美味しかったです!
砂糖もちょっとかけてみると、
「なんちゃって『きな粉のぼたもち』みたいで美味しいじゃん!」
「ぼたもち」が大好きな僕には、灯台下暗しの食べ方でした。(笑)
そんな「きな粉」の発祥や語源は?
大豆を炒ってから挽いて粉にしたものが「きな粉」ですね。
大豆の発祥は中国です。
日本に伝わったのは、なんと弥生時代といわれています。
弥生時代は紀元前9〜8世紀から紀元前3世紀頃までのことになります。
その頃から大豆の栽培が行われるようになりました。
もはや稲作のお米と同じく大豆も日本人のDNAに刻み込まれているレベルですね!(笑)
日本人の大切な食糧、五穀にも大豆は含まれています。
時代や地域によって違いますが、古事記では「米・麦・粟・大豆・小豆」とされています。(現代では米・麦・粟・キビ・豆などをブレンドした穀物のことです)
この大豆をきな粉にして食べられるようになったのは、奈良時代(710年〜794年)とされています。
ということは、きな粉の発祥は「日本」ということですね。
始めは食べ物というより、薬として使われていたそうです。
大豆にはビタミンB1が多く含まれているので、かっけの薬として重宝されていました。
平安時代(794年〜1185年)には炒った大豆を挽いて粉にしたもの(きな粉)は、「末女豆岐(まめつき)」と呼ばれていました。
「きな粉」と呼ばれるようになったのは室町時代(1336年〜1573年)からです。
きな粉が庶民にも食べられるようになったのは江戸時代です。
「わらび餅」「葛餅」「おはぎ」などきな粉を使った和菓子が盛んに作られるようになった頃です。
「きな粉」という呼び名が一般に普及したのは元禄(1688年〜1704年)の頃のようです。
明治の頃の本には「豆粉」と書いて「きなこ」と読ませるものもあったようです。
また、「黄なる粉」の「る」が落ちて「黄な粉」となったとの記述もあるそうです。
そんな「きな粉」をこんなものにまぶしてみました。
「ペンネ」です。
ちょうどペンネを茹でたときに、きな粉があったのでまぶしてみたら、意外と美味しかったんです!