みなさんこんにちは。シェフ「H」です。
先日、法隆寺金堂の建立時に天井板に描かれていた男性の落書きの写真が公開されました。
1949年の火災で焼損した部材に残っており、その写真が昨年刊行された「法隆寺金堂古材調査報告書」で掲載されていることがわかりました。
法隆寺金堂は飛鳥時代の建てられたものです。
このような飛鳥時代の世俗的な絵は希少だということで話題になりました。
法隆寺には小学生の時に修学旅行で行きました。
まわりに何も無いようなところにあったような気がしますが、どうだったかなあ・・・?
それはいいとして、法隆寺は世界最古の木造建築物というのは有名ですね。
もちろん金堂も同じくして建てられました。
推古15年(607年)に創建されましたが、その後670年に火災で消失し、7世紀後半に再建されています。
その時代こそが「飛鳥時代」と呼ばれ、推古天皇が即位した593年から、平城京へ遷都した710年までになります。
仏教が伝来したり、天皇を中心とする律令国家を目指し、政策を推し進めた時代です。
一番有名なのは645年の「大化の改新」かもしれませんね。
聖徳太子がいたのもこの時代です。
それではこの時代は、どんな食事を摂っていたのか?
食事の回数は2回で、当時は木製のスプーンを使っていたようです。
箸を使うようになったのは後の奈良時代です。
玄米、野菜の汁、イワシの煮付け、キュウリの漬け物、カブの酢漬け、塩や酒などが土師器(はじき・素焼きの土器)や須恵器(すえき・高温で焼かれた灰黒色の土器)と呼ばれる土器に盛って出されていました。
これらは下級役人の食事で、庶民は基本的には一汁一菜の質素な食事でした。
玄米に塩を振って食べ、付け合わせは海草の味噌汁とゆでた青菜や山菜くらいだったようです。
対して貴族階級は、マダイ、鮑、鮎、古代チーズなど様々な食材を食べていたそうです。
このうち「古代チーズ」ともよばれているのが「蘇(そ)」です。
牛乳をおよそ10分の1くらいにまで煮詰めて固めた畜産加工品になります。
いつの時代も貴族階級は特別ですね・・・