みなさんこんにちは。
今回は少し硬い題名になってしまいました。
現在、新型コロナウイルス感染拡大防止対策による、大小様々なイベント、集会等が自粛、中止、延期となっています。
株価も下がり、経済的ダメージは日本のみならず、世界に広がっています。
僕は「どっちがいいかなあ」といつも迷ったり、「まだ決められないの?」と言われたり、買い物に行ってもなかなか決められなく、「何に迷ってるの?」と言われる始末。
「優柔油断」な性格と言われます。
自分でもそう思います。
「優柔不断」には良い意味もあると言われますが、世間一般には「なかなか決められない」「迷ってばかり」のようなどちらかというとマイナスなイメージがあります。
経験上から客観的に「判断」は出来ても、主観的に自らの考えで「決断」がなかなか出来ません。
日々の生活は小さな「決断」の連続です。
そして時々大きな「決断」があり、数年に一度人生の分れ目となるような大きな「決断」を迫られることがあります。
僕自身の大きな決断の1つに「お店をやる」という大きな決断がありました。
「やらない」というのも1つの選択であり、大きな決断です。
「お店をやる」ということを「決断」することで、そこに至るまでに数々の「判断」や「決断」に迫られます。
会社を辞めるという「決断」もその1つでした。
会社を辞めてから「お店をやろう」と決めたわけではありません。
「お店をやる」と決めたので、会社を辞めました。
これはかなり大きな「決断」でした。
なにしろ、僕の妻(スタッフK)も仕事をしていましたし、子供もいます。
自分一人ではないからです。
家族の同意がなければ上手くいくわけはありません。
また「実家に戻る」ということも僕だけでなく、特に妻の方に負担がかかります。
何せ全く知らない土地に暮らさなければならないからです。
子供も、もちろんこちらに友達はいません。
いろいろなことを考えなければならず、妻とよく話し合い、大丈夫だと「判断」しました。
そして本当に大きな「決断」をしました。
と僕の話はこのへんで。
またの機会に話しますね。
さて今回の安倍総理大臣による、全国の小中学校、高校、特別支援学校への臨時休校の要請はやはりいろいろな意見が飛び交っています。
問題もたくさん出てきています。
それは想定していたことだと思います。
僕も子供がいるので当然、「そんな急に言われても」ですが、今回ばかりは「仕方ない」です。
新型コロナウイルスの感染拡大防止を最優先した一刻を争う「判断」と自ら責任を負うこととなる「決断」については賞賛するべきだと思います。
今後どうなるかはわかりません。
そのなかで、今一番にしなければならないことを責任をもって「決断」していく。
この「判断」が「合っているか」「間違っているか」は誰にもわかりません。
合っていれば、「よくやった」と賞賛され、間違っていれば、「急ぎ過ぎた判断」「早すぎた決断」などと避難を浴びることでしょう。
それは事後のことで、この状況に於いては早急に「決断」することがトップの仕事であると思います。
この判断によく例に挙げられるのが、1918年に発生した悪名高い新型インフルエンザのパンデミックです。
死者数は世界で2千万人とも1億人ともいわれています。
アメリカに於いては、1918年9月8日から19年2月22日までの24週間、43都市において、累計115,340人のインフルエンザ及び肺炎による超過死亡があったと推定されています。
この中で、各都市の対応の差が感染にかなり影響したというデータが残っています。
フィラデルフィアでは極めて楽観的で、20万人以上が参加した戦勝パレードが行われ、この数日後には米国最悪のスペイン風邪のアウトブレイクが発生しています。(感染ピークの一週間で人口10万人あたり250人がスペイン風邪で死亡)
その一方でセントルイス市では、市長が「現在市でスペイン風邪が発生し始めました。そして大流行になりつつあります。すべての劇場、学校、ホール、酒場、民宿、ダンスホールは次のアナウンスがあるまで閉鎖します。集会も日曜学校も禁止です」と発表した。その結果ピークの一週間人口10万人あたり30人に抑えることができた。
これはフィラデルフィアの8分の1以下になります。
このデータが今回も当てはまるとされています。
イベント、集会の中止や制限を早期より開始し、徹底的に実施するのが重要と考えられます。
危機の時ほど、各国政府にはリーダーシップが問われます。
すいません、今回は長くなってしまいました。
続きは次回にします。