高浜市でランチが自慢のカフェ:salutサリュー

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もう9年経った大震災

みなさんこんにちは。シェフ「H」です。

 

今日は一日中このニュースでしたね。

 

2011年(平成23年)3月11日(金曜日)14時46分18秒

 

東日本大震災は起きました。

 

僕はまだ東京で働いていました。

 

ランチが終わり、調理場ではブイヨンが大きな寸胴で火にかかっているだけでした。

 

ゆらゆら揺れだしました。

 

「地震だ!」とすぐガスの元栓を閉めるが早いか、揺れは大きくなり、お湯のたっぷり入った寸胴がガス台の上を左右にズレて動いていました。

 

すぐに皆に声をかけて、外の出るように階段を下りようとしましたが、壁を伝わらないと歩けないほど揺れていました。

 

外の出ると、周りのビルが左右にゆらゆら揺れているのがわかるくらいでした。

 

目の前の公園や道には、「普段周りのビルの中にはこんなに人がいるのか」というくらい大勢の人で道が埋め尽くされるほどでした。

 

揺れが落ち着いたのですぐに戻り、コーヒーショップのお客様を誘導したりしました。

 

外はまだ寒く、お年寄りや妊婦の方もいらっしゃったので、とりあえず店内に入ってもらいましたが、また大きな揺れが来るといけないので、寒いですが玄関は開けっ放しにしておきました。

 

お客様への対応、調理場の安全確認、スタッフとのミーティング、会社への情報伝達などなどで時間は過ぎていきました。

 

午後5時前になると電話連絡が入り、「各部署、安全確認して営業を再開するように」ということで、皆は準備に取りかかりましたが、正直、「営業するの!」と思いました。

 

その日は金曜日で、周りの会社の人達は翌日は休み。

 

公共交通機関がすべて止まり、街は帰宅困難者であふれていましたし、道路は車で大渋滞でした。

 

ホテルはと言うと、宿泊を求める人でいっぱいになり、それとともに各レストランは満席になり、思ってもみなかった状態になっていました。

 

ロビーも開放し、帰れない従業員は会社に泊まりました。

 

「今夜は誰も来ないと思ってた」と皆で言っていましたが、現実は逆でした。

 

しかしながら、翌日からパッタリと客足は途絶えてしまいました。

 

「東京でこの揺れ。関東のどの辺りが震源なんだろう?」

 

と思っていましたが、ニュースを聞いてビックリしました。

 

「東北なの!」

 

それを聞いて

 

「どれだけ大きな地震だったんだ!」と思いました。

 

映像を見て更に驚きました。

 

「何だこれは!」

 

黒い濁流のような海水が、勢いよく町に近づいて来るのを知らずにゆっくりと走っている車が、あまりにも対照的だったのを覚えています。

 

あれからもう9年経ちました。

 

震災後、実際に現地には行っていませんが、僕は学生時代を東北地方で過ごしました。

 

東北地方には友人も多くにいますし、職場にも東北出身の従業員がたくさんいました。

 

なのですごく身近なことに感じます。

 

震災当時の状況も友人に聞いたりしました。

 

しかし実際僕は当時も今も被災地にはいません。

 

どこか異国の地で起きたことのように思ってしまうところもあるのは否めません。

 

悲しいことですが・・・

 

「南海トラフ大地震」

 

いつ起こるかわかりません。

 

僕が小学生の頃から、「東海大地震」が起こるということで、避難訓練を何度もしました。

 

こういう機会に今一度、震災時への準備。

 

防災用品、食料備蓄、家族との話し合い・・・

 

できることをしておきたいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

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