高浜市でランチが自慢のカフェ:salutサリュー

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あけましておめでとうございます。

みなさんこんにちは。シェフ「H」です。

 

2022年 令和4年が始まりましたね。

 

天気も良く、穏やかな元日を迎えました。

 

お昼前から風が強くなり、寒い一日でした。

 

みなさんは良いお正月を過ごされていることだと思います。

 

今朝はお雑煮を食べてゆっくりしてから、お店で色々としておりました・・・

 

365日休みなし!(笑)

 

スタッフ「K」からは「ゆっくりできない質だなあ」と言われています。

 

ゆっくりしてもいいんですが、何もしていないのがダメな貧乏性です・・・

 

リゾートでゆっくりできないタイプですね!(行ったことないですが・・・)

 

ところでみなさん、お雑煮やおせち料理は食べましたか?

 

毎年、おせち料理を準備して食べることはありません。

 

準備と言っても、僕が作るわけではないので・・・

 

すいません・・・(笑)

 

単品でおせち料理にあるようなものとか、お餅を食べる程度ですね。

 

しかし、今年は「おせち料理」を食べることができました。

 

スタッフ「K」の実家からの贈り物です。

 

「え〜!ほんとに!うれしい〜!」

 

思わぬご褒美?ですね。

 

ありがとうございます。

 

すごい!贅沢!見事!綺麗!そして仕込みが大変そう・・・

 

そんな「おせち料理」ですが、はじまりをたどると、弥生時代まで遡るそうです。

 

稲作が縄文時代の終わりに中国から日本に伝来し、弥生時代にかけて広まったことで、狩猟中心の社会から濃厚中心の社会へと変わりました。

 

中国から「節」を季節の変わり目とする暦がもたらされ、節ごとに収穫を神様に感謝して、「節供」といわれるお供え物をする風習が生まれました。

 

「節供」として供えた作物を料理したものは「御節料理」と呼ばれ、おせち料理のもとになったとされています。

 

その後、奈良時代から平安時代にかけて「節会」として宮中行事となり、「御節供」が振る舞われるようになりました。

 

そして江戸時代に五節句が祝日となり、大衆にも民間行事として広まり、節句のうちの正月料理が「おせち」として位置づけられていきました。

 

料理1つ1つに意味が込められ、新年を祝うための食べ物になっていきました。

 

ちなみに「おせち」と呼ばれるようになったのは、第二次世界大戦後のことだそうです。

 

それ以前は、「食積(くいつみ)」「蓬莱」と呼ばれていたそうです。

 

「蓬莱」は熱田神宮の異名でもあるんです。

 

「ひつまぶし」で有名な熱田の「蓬莱軒」は、そこからきているんですね。(多分・・・)

 

1つ1つ手間がかかっている「おせち料理」です。

 

和食さんの裏側を見ていただけに、大変さがわかります。

 

感謝していただきました。

 

みなさん、今年もよろしくお願いします。

 

そして、みなさんにとっても良い一年でありますように。

 

 

 

 

 

 

 

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